11月の初旬に父親が亡くなりました。
朝6時前に電話がかかってきて、病院に向かい、着いた時には、父はすでに息を引き取っていて、先生が私たちの前で死亡の確認をされました。
昨年の12月中旬過ぎに、利用していた施設から入院し、その時父は、私と会話が出来る状態でした。
その後、今年の5月、6月頃、病院から連絡があり、父の状態が悪いとのことで何度も会いに行きました。
コロナ禍なので、基本的には直接会うことはできませんが、その時はそのまま病室で会うことができました。
そのくらい、父の状態がよくないと病院が判断してのことでした。
その後は持ち直して、ちょうどオンライン面会の日程を決め、今月会いに行く予定でした。
しかしそれは叶いませんでした。
残念ですが、年齢も93歳ということもあり、6月の時点で覚悟はしていました。
テレビのコマーシャルなどで言われている、人生100年時代までは届きませんでしたが、ほとんど苦しまずに亡くなり、大往生だったと思います。
私は若い頃、父親と(15歳ぐらいから30歳近くまで)会話をしたくない、という時期がありました。
理由は子供の頃、父親が外では、とてもいい人、しかし家では、気に入らないことがあったりして帰ってくると、よく母親に八つ当たりしていたのを覚えています。
小さい頃それが原因で、母親と姉と3人で家には帰らず、公園で夕方まで遊んでいた記憶があります。
しかしそんな父親でしたが、70歳を過ぎたあたりから、足が弱って、「父も歳をとったなあ」と感じ始め、私も次第に話しかけるようになりました。
母親が10年近く前に亡くなり、その後は、住んでる場所は少し離れていますが、何かと私に頼み事などしてくるようになり、若い頃は父のことを嫌っていましたが、不思議なもので父親の人生最後の何年間かは、私と関わる時間が多くなってきました。
どこどこのお店で昼を一緒に食べたいとか、昔母親と一緒に入った中華料理屋さんに行ったこともありました。
その時の食べてる姿を、スマートフォンに撮っておいたのは、良かったのかなと思います。その後、ショートステイをしていた施設に入りたいと、そしてその希望が叶い、週に1回会いに行くと、嬉しそうな顔をしてくれていました。施設では一番元気に見えました。
相変わらず外面がよく、施設の人には評判が良かったです。😅🤔
コロナ禍で、ここ数年まともに会うことができませんでしたが、それは仕方がないことです。
私自身も喪主としてなんとか、精神安定剤に頼りながらも、無事に終えることができて安心しました。
そして何よりも、病院からの電話の音に怯える生活がなくなり、今は少しほっとしています。
もし天国があって、そこに母親がいたら、今度はもっと仲良くして欲しいかなぁと、そう思う今です。