私は漏斗胸と言う、あまり聞いたことの無い、呼び名の胸をしています。
初めて周りの友達と違うと気づいたのは、小学校6年生の時でした。たぶん学校でプールの時だったと思います。
また当時、何かの拍子で、友達に胸を触られた時に、「あれ何これ、見せて」そんなことを、言われた時もありました。感触が自分のと違ってたんでしょうね。
【胸がへこんでいる】
【胸の骨が少し出ている】
それからは、中学、高校時代と、プールに入る時も、修学旅行でお風呂に入る時も、
いつも両腕を胸の前に組んで、胸を隠していました。
また友達に、「海に行こう」と、誘われた時も、断ってきました。
そのためではないのですが、なかなか友達と馴染めずにいました。
思春期の時も彼女を作れずに、悩みに悩んで二十歳ぐらいの時に、
病院《形成外科》に相談しに行きました。
形成外科というのは、その時初めて知りました。
1度目の病院では「気にしないで」と、断られましたが、2度目の病院では、先生が、「出ている骨を削ってみましょう」と、言ってくださいました。
どのような手術になるのかなど考えず、その時は、とても嬉しくて最高な気分でした。
手術は無事終わり、10日後ぐらいに、退院して家の鏡で胸を見て見ました。
初めは出ている骨が無くなっていたので、
例えが下手ですが【両方の手の指を、胸の骨だと思って、ほぼ平らに組み合わせたのが普通で、私の場合指先がぐっと中に入って凹んだ様な感じで、指の曲げたところが一本位、少し尖ったような感じです】
嬉しかったのですが、よく見るとへこんでる胸はそのままでした。「友達と海に行きたい」その夢は自分自身の勝手な判断で諦めてしまいました。
また、漏斗胸を気にしすぎて女性の人とは、ほとんど付き合ったことは有りませんでした。
10年ほど経って、今の妻と知り合った時に、胸の話して、そして見せました。
帰ってきた返事は「別に何とも思わない」でした。
私は、自分自身に対して、過剰に反応してしまう人間だと思います。
自意識過剰でもあると思います。
今までの話とは別ですが、人の悩みは千差万別ですよね。
他人から見て「えっ、そんなことで」と思うような悩みでも、
その人にとっては、とても大変な悩みであって、決して気軽に悩みを聞くなんて、出来ない。人が持っている悩みは、その人にとっては大変だから…
それでも助け合うことができれば